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第二章 最後の邂逅③

Author: 七森香歌
last update publish date: 2026-08-17 16:38:27

 リスルが老夫妻の下をろくな荷物も持たずに出奔してから、十回目の秋が訪れていた。彼女は表向きは旅の薬師を名乗り、国内各地を転々としていた。実家の稼業もあり、植物について人並み以上には知識があった彼女は、旅の途中で得た薬草を訪れた街の薬問屋に売って、路銀に替えることで日々の生活を維持していた。

 旅を始めて二、三年経ったころ、リスルは危険を承知で聖セレーデ教会の総本山のあるレシェールを訪れたことがある。自分の身に宿る『悪魔の力』について、調べたかったというのが理由である。自分の力について知ることができれば、処刑の日の夜のように力を暴走させることなく、上手く力と付き合いながらひっそりといきていくこともできるのではないかとリスルは考えていた。

 レシェールには、敬虔な巡礼者だけでなく、神学者も多く集まる。そういったことを調べるにはうってつけであった。

 巡礼者のふりをして紛れ込んだレシェールのカフェで、リスルは聖典の悪魔について研究しているという神学者の青年と席が隣になった。

 彼が自分の研究テーマについて、連れの青年と議論を重ねているのを、リスルはアイスレモンティーを啜っているふりをしながら聞いていた。

 彼らが追加の注文のために席を立った隙を狙って、席においたままになっていた彼らの荷物を漁り、彼らの研究資料を盗み出すと、リスルはそのカフェをそそくさと後にした。

 宿へと戻った後、部屋の扉に鍵をかけると、リスルは神学者の青年たちが持っていた研究資料に目を通した。その資料には、悪魔の定義から、彼女の目的であった『悪魔の力』についてまで詳細に記載されていた。

 リスルは、研究資料を読み進めるうちに、自分の中に宿る二種類の『悪魔の力』にの正体を知った。

 一つは、自然の中に宿る”モノ”の声を聞き、力を借りる能力――《ヴィサス・ヴァルテン》である。これは彼女が生まれ持ったものであり、あの惨劇の夜に彼女が完全に覚醒させた力であった。この能力を持つ異能者は統計上、一部の少数民族に生まれやすいものとされていた。

 もう一方は、生命に干渉する能力――《レーヴェン・スルス》である。故郷での事件を経て彼女の身の内に顕現したもう一つの能力であり、《ヴィサス・ヴァルテン》とは完全に別物である。この能力を使えば、他者に己の命を分け与えることも、逆に奪うこともできるという。病のように生命を脅かすものの存在や寿命を当てるなどといったことも容易だという。しかし、行使する度に、術者の命が削られていく、代償の大きな能力だとも記されていた。

 自分の異能の正体を知ったリスルは、教会の追手に気取られないように気を配りながら、己の異能を制御する練習を始めた。あの夜のように、自分の力を抑えきれずに、惨劇を繰り返したくはなかった。

 異能の扱い方を覚えると、リスルは時々、訪れた街で、もう助からないであろう病人や怪我人を《レーヴェン・スルス》の力を使って癒やすようになった。多くの人々の命を奪ってしまったあの日の贖罪のつもりはなかったが、人の命を救うごとに、彼女の生命力は削られていった。彼女は誰かの命を救うため、自分の生命力を異能を使って他人へ分け与えていた。誰かのために力を使う度に彼女は死へ近づいていき、体力は衰えていった。

 彼女がそういったことを繰り返すうちに、国内各地では次第に『聖女』の名が広まっていった。『悪魔の力』をもって殺戮の限りを尽くす『紅の魔女』として教会に追われている身の上としてはこの上ない皮肉だった。

 彼女は能力を行使しながら旅を続けるうちに、衰弱していく身体に限界を感じるようになっていった。彼女は、次に訪れる集落を終の住処にしようと考えていた。それほどに彼女はもう、自分の生に疲れ果ててしまっていた。

 夏に故郷があったはずの場所に立ち寄って以来、北を目指して旅を続けていた彼女は、ある日、北の国境にほど近いロイゼン山を越え、ヴェレーン村へとたどり着いた。まだ秋の初めで雪こそ降りはしないものの、どんよりとした灰色の分厚い雲が空の全体を覆い尽くしていた。

 寂れた宿の一室を借りたリスルは、備え付けの暖炉に火をくべると、旅装を解くこともなく、行儀悪く、そのままの格好で寝台に横たわった。全身を支配する倦怠感は休んだからといって回復するものではなかったが、それでも一秒でも早く休みたい気分でいっぱいだった。

 彼女の身に宿る能力は、身体への負担が大きかった。《ヴィサス・ヴァルテン》にしろ、《レーヴェン・スルス》にしろ、行使する度に疲労が溜まるのは同じだが、後者は扱う力の性質上、とりわけ負担が大きい。《ヴィサス・ヴァルテン》はともかく、《レーヴェン・スルス》を行使できるのは、良くてあと数回だろうと彼女は感じていた。

(わたしが『聖女』か……皮肉もいいところだわ。けれど、何にしても、教会の捜索部隊に尻尾を掴まれるようなことだけはしないように気をつけないと)

 夏ごろまで転々としていた国内東部では、異能者の捜索のために教会から派遣された神聖騎士団の部隊を見かけることが多くなってきていた。どうにも、探しているのはリスルではなく、別の異能者――鋼の雨を降らせる能力を持つ十代半ばごろの少年らしかったが、教会のお尋ね者であるリスルは下手に巻き込まれないうちに、そのころ滞在していた海辺に面した街を離れた。

 彼女は、自らの手で故郷の町を滅ぼしたあの日から、新たに発現した《レーヴェン・スルス》の力の有無に関わらず、きっと長くは生きられないだろうと覚悟はしていた。それでも最後に一つわがままが叶うなら、残り少ない生を静かに全うしたかった。

 そんな取り留めのない思考の中、彼女の意識は眠りに沈んでいった。

 翌朝、目覚めたリスルは宿の人にお湯とタオルを借りて身を清め、普段着であるベージュのチュニックワンピースに着替えた。さっぱりとしたところで、宿の人が厚意で部屋に持ってきてくれたパン粥を口にした。素朴で優しい味が口の中と重たい体の中に染み渡る。

 昨晩は、あのまますぐに眠ってしまった。この村にいつまでいられるかわからないが、ひとまず村を一通り見て回ってみようと思っていた。彼女はチェック柄があしらわれたブラウンのノーカラージャケットとワークブーツを身に纏う。ベージュのリュックサックに必要最低限のものを入れると宿を出た。

 ヴェレーンは朴訥とした田舎の村だった。ロイゼン山の南側に比べ、冬の訪れが早いのか、まだ秋の初めなのに地面に霜が降りている。

 村の東の外れを流れるラーウェ川の岸辺を石に足を取られないように気をつけながら歩いていくと、リスルは川の向こう側に林があることに気づいた。

 何かしらの薬草が自生していないかと、辺りを見回しながら、リスルは林へと足を踏み入れる。いくらここを終の住処にしようとも、手持ちの金に限りがある以上、早々にどうにかして生活のための金を工面する必要があった。

 生い茂る木々越しにうっすらと太陽が照らしていた。リスルは調薬に使えそうな植物を採取しながら、林の中を進む。どこかに滝があるのか、遠くで轟々という水の音がしていた。

 リュックサックの中が採取した薬草で満たされ、来た道を引き返そうとしたとき、リスルは灰色の髪の少年が倒れていることに気づいた。少年は全身に傷を負い、血を流していた。

 リスルは少年を助け起こそうとしたが、彼の周りの異様な光景に息を呑んだ。

 地面には鋼の破片が冷たい煌めきを帯びて、無数に突き立っていた。べったりと血液が付着しているものもあり、それが少年のものであることは疑いなかった。

(これ……まさか)

 地面に突き立つ鋼の欠片は、明らかに人間の生み出し得るものではなかった。人知を超えた力の存在を感じる。

 リスルは彼の正体に心当たりがあった。

(もしかして……東部で教会が探していた異能者……!)

 恐らく、彼は『災いの子』イーシュ・エルフェンだ。鋼の雨を降らせる異能者として、教会に指名手配されている。

 度々、その身に宿る異能を暴走させている世界と人類の脅威として、教会が探し回っていたが、リスルには彼がそれほど危険そうには見えなかった。

 念のため、警戒しながらリスルは倒れている少年の様子を見る。全身の傷はさほど深くはなかったが、意識がない。

 リスルはリュックサックの中を漁って、使えそうな薬草を探し出すと、彼に応急処置を施した。

 リスルは手近な木の幹に寄りかかって座り込んだ。膝の上に少年の頭を乗せ、彼の意識が戻るのを待っていた。少年の頬には涙の跡があって、痛々しかった。

 術者である彼自身がこんなにも傷ついてしまっている以上、何かしらのきっかけで能力が暴走してしまったのだろうとリスルは思う。

 彼の手当をしたときに、古い傷跡がうっすらと白く全身に残っているのをリスルは目にしていた。今回のようなことが過去にも何度もあったであろうことは容易に推測できる。

 リスルは彼が自分と同じ異能者だろうということ以外は何も知らない。少年が経験してきたであろう凄惨な過去に思いを馳せ、リスルは嘆息した。

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